タイのあれこれ

と、フィリピンのあれこれも

2022年を振り返って

 

10月に日本一時帰国した時の内容をまだ書いておりますが、本日は12月31日ということで、2022年も本日で終了となります。ということで、今年を振り返る記事を残しておこうと思います。1年の大ニュースを振り返るというのは、ありがちなことなのですが、今年はいろいろなことが起こった年なので、備忘録として書いていきます。

 

今年の1番大きな出来事は、父方の祖父が3月に亡くなったことです。101歳まで生きたので大往生ということになるかと思いますが、直前まで元気にしていたので予期しておらず、大変驚いた分、衝撃の大きな出来事でした。いつも孫のことを気にかけてくれていて、私のいろいろな決定に理解を示してくれていたので、亡くなる時に立ち会えなかったのはとても残念な気持ちになりました。

2番目は、楽しかったバンコクを離れて、フィリピンに引っ越したことです。毎日の生活に直撃することなだけに、いろいろとインパクトのある出来事でした。最初は冗談半分だったフィリピン移転でしたが、いろいろな周りの状況の変化や出来事が、移転をサポートする方向のものばかりでしたので、瓢箪から駒ではありませんが、少しずつ現実味を帯びていったという流れでした。引っ越しの準備は、思ったよりエネルギーと時間がかかり、海外から海外への引っ越しはまた別の挑戦があるなと感じました。これまでも引っ越しは何度か経験してきましたが、今回の引っ越しは、慣れるまでにかなり時間がかかっています。9月に引っ越し、10月に一時帰国を挟んで、もう3か月くらい経過していますが、まだ慣れないというのが実情です。慣れない理由は、まず気候の違いです。標高約1500mの場所にあるここバギオは、朝晩が寒いです。今のところの最低気温は12℃で、数日前にありました。暖房の設備がありませんので、重ね着と温かい飲み物だけで過ごしており、とても寒く感じます。寒いと、いろんなことにネガティブな影響が出ますね(笑)。引っ越してから、食べ物も変わりました。毎日おいしい果物と牛乳が食卓に並んだタイの食事が懐かしいです。そして、友達や知り合いの日本人がいない環境というのは初めての体験で、意外に影響があり、「これがホームシックなのかな」と感じることがあります。会衆も大きく変わりました。大きな会衆(長老14人、MS12人、開拓者51人!分会間近です)のせいか、「お客さん」の状態がまだ若干続いており、なかなか難しいですね~また、「海外に出ているフィリピン人とフィリピンにいるフィリピン人はかなり違う」とは聞いていましたが、実際にフィリピンで暮らし始めて、なんとなく意味が分かった気がします。

世間のニュースで印象的なことは、月並みですが、ウクライナ戦争、著名な人の死去、根強いコロナ禍といったところでしょうか。ウクライナ戦争は、塹壕を掘って歩兵隊同士が戦うという昔の戦いが21世紀に起こっているという衝撃と、物価高を通じて世界中に多大な影響を与えている現状に改めて驚きを感じます。タイでは、植物油の値段が2倍ぐらいに値上がりましたからね~ウクライナ産のひまわり油がなくなったことが遠因らしいのですが、戦争の影響を自分が受けるとは思いませんでした。また、報じられる著名人の訃報も、毎年のことながら印象に深く残ります。安倍晋三氏、石原慎太郎氏、アントニオ猪木氏、イビチャ・オシム氏。また、上島竜兵氏、渡辺裕之氏の訃報のニュースの後に「いのちの電話」の番号が出てきてやはり辛い気分になりました。コロナ禍もまだまだ続いています。日本では今年の12月が最も亡くなった人が多い月になったとのことです。私の周りには、個人的な理由でワクチン接種を受けていない人がいるので、やはり気になるニュースです。

さてさて、あと5時間ほどで2023年です。外からは、もうすでに、自家製または密売の花火と思われる爆発音や、露店で売っているプラスチック製のラッパを子供が吹き鳴らす音が聞こえてきます。この国ならではの新年の迎え方なんでしょうね。さてさて、2023年、どんな年になるでしょうか。私としては、配偶者ビザを手に入れて、バギオを離れてもっと区域や会衆の必要な場所に移動して、フィリピンでの生活が本格的に始まる、、、という予定です。また引っ越しかと思うと、ちょっと気が重いのですが、かといってここに根を生やしてしまうと、せっかくバンコクを離れた意味がなくなってしまいますので、”ここに安住するのも一案”なんていう安易な気持ちはスパッと切り捨てて、動き出したいと思います!9月ぐらいが目安かな。。。

 

 

混迷の2022年 聖書から読み解く