お別れ

【重要な前置き】

 

ここでは、

人が亡くなった時のことを書きます。

読むと心が重くなります。

心が重くなりたくない方、

今心が重くなってはいけない方は、

ブラウザーまたはアプリを終了してください。

 

【重要な前置きの終わり】

 

 

 

 

 

 

 

 

この4年位、

毎月、

面会のために刑務所に行っていました。

 

最初は、

全く面識のないところからのスタートでしたが、

すぐに打ち解け、

お互いに、

月に一回、

短い時は15分、

長い時は1時間くらいの面会を、

楽しみにしてしていました。

 

その彼女に、

大きな転機が訪れたのは、

昨年の1月でした。

 

突然の異常出血で入院、

検査の結果、

ステージ4の子宮頸がんに罹っていることが分かりました。

 

その時点で、

残りの刑期はあと2年ほどでした。

 

それまで、

なんとか持ちこたえてほしい。

 

帰国して家族や友人に会いたいという、

彼女の希望を叶えてあげたい。

 

そんな思いを込めて、

その後も面会を続けていました。

 

また、

特別な恩赦の嘆願書を作ったり、

自己負担となる治療のための資金を集めたり、

家族がお見舞いに来れるよう準備したりと、

いろいろなお手伝いもしてきました。

 

その中で、

私はいろんな事を教えられました。

 

家族が来タイして、

面会できることが決まった時の、

彼女の喜ぶ姿は、

今でも忘れられません。

 

計画が具体的になるにつれて、

まるで病気が治ってしまったかのように、

どんどん元気になっていく様子を見て、

「希望」とか、

「家族」の持つ、

計り知れない力の強さを学びました。

 

逆に、

完全に心を入れ替え、

もう絶対に罪を繰り返さない、

どう考えても罪を繰り返すことは不可能、

という状況になっても、

決まった刑期は変わらない、

という司法制度の限界も目の当たりにしました。

 

更生が目的であれば、

心から悔い改めていて、

もう長くは生きられない重病人を、

刑務所に収容している意味は、

果たしてあるのか?

 

治療のために、

刑務所の外の病院に通院していましたが、

治療の薬が、

彼女には相性が良かったようで、

腫れていた首のリンパ腫が、

目に見えて小さくなり、

食欲が落ちず体重が増えた時期さえありました。

 

治療でうまく時間を稼げていたので、

このまま刑期終了まで持ちこたえてほしい、

と願っていました。

 

そして、

年が改まって今年の1月。

 

宣教者の夫婦と一緒に、

刑務所内の病院の、

病棟の中まで入って、

1時間半ほど面会ができました。

 

刑務所側はよく対応してくれ、

大使館の手紙を持って、

刑務所に通って約5年、

この時初めて冷たい水をもらいました。

 

英語が流暢なタイ人の囚人が通訳をしてくれ、

看護婦や係官と話ができ、

仮釈放のための新しい手順が分かり、

次の希望の光が見えた面会でした。

 

彼女と手を取り合い、

ハグを交わし、

共に祈って、

楽しく有意義な時間が過ごせて、

さあもう一息、

と思っていたのですが、

残念ながら、

ゆっくりと話ができたのはこれが最後でした。

 

2月、3月に面会に行った時は、

アクリル板で遮られた面会室での、

通常通りの30分位の面会でした。

 

3月は6日に面会しました。

化学療法が終わり、

髪が伸び始めた様子に驚きましたが、

少し疲れた印象を受けました。

 

そして。

3月23日から、

タイはロックダウンに突入。

 

街の様子は一変します。

 

面会のための書類を作ってくれた大使館も、

業務縮小となり、

4月は、

この約4年間で初めて、

訪問できませんでした。

 

バタバタと忙しい毎日が続き、

5月も面会ができていませんでした。

 

そして、

5月25日。

 

彼女の家族から、

彼女は休息に入った

という連絡が届きました。

 

まさか…

 

まだまだ元気そうで、

出所できるのではないかと

期待していた矢先の出来事でした。

 

闘病の最後の2ヶ月半、

一番辛かったであろう時期に、

何もしてあげられず、

私たちのサポートは終了となりました。

 

 

その2日後。

 

わたしは生まれて初めて、

遺体安置所というところに行きました。

 

通されたのは、

安置室ではなく、

その部屋の通り抜けた扉の向こうの、

巨大な保冷施設の前でした。

 

変わり果てた姿

 

というのはよく使われる言葉ですが、

服役中に亡くなった彼女は、

死化粧もされず、

検死されたであろう体は隠されたまま、

一気に30才くらい年をとったような表情で、

冷たい冷たい台の上に寝かされていました。

 

言葉も出ず。

 

冷凍庫独特の匂いと、

家族の希望ために

写真だけは取らなければならない

という義務感だけの私たちが、

そこにありました。

 

写真は不許可と、

受付では言われていました。

 

立ち会った若い警官も、

最初はだめだと言っていましたが、

遠くに住む家族は来れないので、

ぜひ写真を取らせてほしいとお願いすると、

顔だけならよいと言って許可してくれました。

 

顔認証は機能するのが、

なんとも奇妙でしたが、

火葬される前の姿を記録に残すことはできました。

 

多分私たちは、

1,2分しかそこにはいませんでした。

 

涙も出ない、

おそらく最後の面会。

 

彼女の死を確認するだけの機械的な作業。

 

遺体を写真に収めるという、

普通なら明らかに非常識な、

でも異国に住む家族の強い願いを、

ただ代理で果たすという使命。

 

こんなに心がない時間が、

あるという現実。

 

何もかもが腑に落ちないままでした。

 

建物から出て、

タイの暑い風に戸惑っているところに、

一人の男性が近寄ってきました。

 

タイ語しか話さない彼は、

英語しか書いていない名刺を渡してきました。

 

名刺を見たら、

海外へ遺体搬送する業者の連絡先が書いてありました。

 

まったく、

この世界は、

感傷に浸る一瞬のスキも与えてくれません。

 

と、最初は思いましたが、

少ししたら、

逆に救われた気がしました。

 

そう。

現実に戻ろう。

 

コロナのせいで最後に何もできなかったとか、

どうして彼女は犯罪者として生涯を閉じなければならなかったのかとか、

そういうことは、

もう今の世の中ではどうすることもできないことなんですね。

 

もともとは、

死ぬようには作られていなかった人間が、

死を受け止めるということ自体が、

不可能なことです。

 

最初は、

よく眠れない日が続くのでしょう。

 

仕方がないことです。

 

仕事中、

涙がこぼれてくることがあるかもしれない。

 

そのときは、

まあそのときですね。

 

とにかく、

毎日生きていく。

 

時間を過ごしていく。

 

まずは

それでいいのではないかと思います。

 

 

ふー

はきだしました。

 

ここをゴミ箱にしてしまい、

スイマセン。

 

 

さてさて、

なにかおいしいものでも食べに行こうかな。

 

あ、

今 急に日本に帰りたくなりました。

 

やっぱりわたしは外国に住んでいたんですね…