タイのあれこれ

と、フィリピンのあれこれも

いよいよ始動

 

今日は、
朝7時過ぎに宿舎を出発。

「朝起きられたら早朝の奉仕に行こう」

そう妻と話していたのですが、
出発できたのがこの時間。

とりあえず、
最後の部分くらいには間に合いそうなので、
奉仕場所に向かいます。

乗ったバスの車掌さんに、
運賃を払おうとすると、

「このバスはそっちには行かないから降りなさい」

と言われました。

むむむ。

グーグルマップでは、
これが一番直線的に行けるバスなのに。。。

早速問題勃発です。

とりあえずバスは降りたものの、
まだバスガイドを入手しておらず、
ネットは宿舎のWi-Fi頼りの私たちは、
代わりのバスを探す手段がありません。

とりあえず大きな通りまで歩き、
Viver で教えてもらっていたバス2本と、
iPhone の履歴に残っていたバスの、
合計3系統を待つことにしました。

バス停には、
このバスの番号が書いてあるのですが、
40分待っても、
このうち1台も来ません。

土曜日だから?
朝だから?

ということで、
朝の奉仕はあきらめて、
午前の奉仕に出るべく、
待ち合わせしていた別の駅を目指し、
地下鉄MRTとエアポートレールリンクを乗り継ぎました。

駅で、
マイシェル&ディンドと合流。

彼らは、
子育てをしながら、
観光ビザ延長で1年以上がんばっています。

バスで、
エミリーの家の近くまで行き、
今日はそこが奉仕区域のようです。

エミリーは、
学校で英語教師をしていますが、
その同僚が近所にたくさん住んでいるようです。

ただ、
正確な住所を知っているのは、
そのうちごくわずか。

それで、
マンションやコンドミニアムを回り、
フィリピン人を探していきます。

あるガードマンは親切で、
いろいろ情報を教えてくれますが、
別のガードマンはガードが固かったりと、
対応はさまざまです。

偶然降りてきたフィリピン人に証言すると言うことも2回ありました。

あるマンションでは、
3人の奉仕者の入館が認められ、
残りは出てくる人を待つ、
というところもありました。

こんな感じで、
のんびりとしていながらも、
前向きで楽しい雰囲気で、
奉仕は続いていきます。

お昼は、
ジャッキー&エドガー宅で交わりでした。

 

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ジャッキーは、
真理を知るまでは、
友人のバースディパーティーのためにケーキを焼くのが仕事だったそうです。

プロの腕前のケーキをご馳走になりました。

こういうものをいただくと、
歓迎されていることが分かって、
うれしくなりますね。

引っ越して来て良かったと思った瞬間でした。

フィリピン人の交わりでは、
必ずと言っていいほどギターが出てきます。

「トモはタガログ語で歌える歌はある?」

すいません、
期待に沿えず申し訳ない。。。

4時ごろまで交わったでしょうか。

帰りは、
またマイシェル&ディンドと一緒に、
バス→電車→バスと乗り継ぎ、
宿舎に着いたのは、
午後8時前でした。

最後に乗ったバスが、
大通りの途中でUターンし、
ドライバーが大声で何かを言って、
乗っていたお客さんがみんな降りました。

まだ地下鉄で2駅以上あるのですが、
完全にUターンしてしまいましたので、
私たちも降りました。

少し歩いていくと、
朝、
なぜバスが来なかったか分かりました。

次の大きな交差点は、
デモ隊が、
道路を封鎖していて、
交通が遮断されているのです。

下には地下鉄が走り、
日本の企業の事務所が並ぶような通りで、
大きな立体交差で幹線が交差している地点には、
大きなテントとスクリーンが建てられ、
デモ勢力が大きな集会を開いていました。

道路は手製のバリケードで完全に封鎖され、
歩行者も、
大きな荷物を持った人はチェックされていました。

ただ、
食事の無料配給がされていて、
完全に攻撃的なデモというよりは、
国家主義的な気分を楽しんでいるという雰囲気があります。

怒りのために振り上げたこぶしの、
落としどころを探していると言う感じでしょうか。

ただ、
バスが部分運休してしまうというのは、
困りますねー

宿舎まで、
結局1時間くらい歩いてしまいました。

今日は一日動いたので、
夜にコンビニでビールを買いました。

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一番安いビールは、
1本350ml30バーツ。
約95円。

タイは、
アルコールがあまり安くありません。

1週間に1回ぐらいは飲めるかな?

おいしくいただいて、
ぐっすり休みました。